前回掲載した進藤さんのライブ記事も是非ご覧ください
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今回のインタビュー前編では、進藤さんの経歴、ドミナントとの関わり、作曲についての内容をご紹介します。
次回の後編では、進藤さんの活動状況についてお聞きしようと思います。
1 経歴
<進藤さんのプロフィール>
1963年熊本市生まれ。1986年東芝EMIレコードよりメジャーデビューし、新宿ルイードを拠点に活動する。その後アメリカから中央アフリカ他、人が生きるを励ます歌を紡ぐ旅の後、帰国し現在熊本市在住。
東京の東芝EMIレコードからデビューして36年目になるそうです。
当時の東芝EMIにはレーベルも多く、甲斐バンド、松任谷由美、BOOWY、長渕剛、本田美奈子他、そうそうたるアーティストが輩出されているようです!
<進藤さんのお話>
上質なJ-POPというか、日本のロックの割と上質でスケールがでかい感じの中にポーンと出て、周りの期待には応えられなかったですけど、良い学びができて、礎になっています。
大きかったのは2回目の上京で、レコード制作やマネージメントとか宣伝を自分で経験したんですよ。だから、自分の音楽とか、進藤久明ってものをどうやって世の中に出していくかっていうのを90年代終わりに勉強して、それがすごくでかいですね。
方法論ではないマインドも、予算的なことも、プロデュース的なことも、そういうのが勉強になりましたね。
2 ドミナントとの関わり
<進藤さんのお話>
小池くんが20歳くらいの時出会ったので30年くらい前から知っています。熊本は、アマチュアでやってる人は多くてもプロでやってる人は少ないんですけど、彼はベーシストとしてそれを生業としてる数少ないベースプレイヤーで、尚且つこういう若い時の夢(ミュージックバーオープン)を実現させた人なんです。彼も僕の行動を知っていたし僕も知っていて、認めるところもあったし、いつかは一緒にやるだろうなって思ってたんです。
それで、今のキーボードの仁美ちゃんと出会い、長い付き合いのドラムス中原健一郎君とも再会し、「今度ホールライブでバンドでやるからベース弾いてくれない?」って言って「僕でよかったら」ということだったので、再開して満を辞して結成になりました。
3 作曲について
<進藤さんのお話>
暮らしの中で楽ではない時に気持ちを奮い立たせたり、自らを元気にしたりとか、ある時は毒づいたりする時もあるでしょうけど、それは反省しながらとかっていうのを歌の物語の中に込めていて、成長させたいっていうか。
僕の曲やアルバムはトータルでテーマを持って作っていて、毎日ブログでそういうことを発信している。アルバム一枚一枚も、「赤い絆」とかタイトルがあるじゃないですか。全部それについての歌なんです。一曲一曲も絆についての歌だし、トータルでもそうなんです。だからそこは文学チックです。テーマがあって、各主人公がいるけど、アルバム「僕らの未来へ」だったら、全部未来に向かって歩くのがテーマだったり、そういうアーティスト性みたいなものは大事にしていきたいです。
次回のインタビュー後編もお楽しみに!
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