初日のプログラム
1 オープニング 火の国旅情
2 一般会員 演唱・演奏・踊り
3 三味線合奏
4 上級認定者 演唱・演奏
・特別ゲスト 森田 彩
5 合唱(各教室)
6 合唱 五木の子守唄(全国大会優勝)
※ 写真は承諾をいただいた上で掲載を行っております。
<田中祥子先生のお話➀>
まずは、幕であるどん帳が上がって、お客様が、1階席がほとんど満席でしたので、その姿を見て、こんなにたくさんの皆様がコロナの中に足を運んでくださったんだな、ありがたいなという気持ちが、まずありましたね。うたいだして後ろをみたら、皆が真剣な顔をして、キラキラしていたので、ああ、やっとここまでたどり着けたなっていうそういう気持ちでした。
<田中祥子先生のお話➁>
ここは皆さん、一般の方々の中から、選抜をされた方の22組でした。ただ、初挑戦される方もその中にはいらっしゃいましたし、十数年もされてきてる方もいらっしゃったり、すごくキャリア的には差がありますよね。でもコロナで公演が延期延期で1年延びましたが、私はこのコロナ期で何ができるかと思ったら、その新しい方々の不安を除くこと。それに集中したいなあと思いました。そういう意味では、新しい方々が、古い先輩の方々とできるところまで、その延期された期間を使って、すごくクオリィティが上がったというふうに、一般演唱についてはいえると思います。
<田中祥子先生のお話➂>
これは、まあ、三味線とか邦楽っていう敷居を感じられるお客さんがいらっしゃるかもしれないのですが、工夫すれば、身近に感じていただけるのではないかと思い、色々な楽器のセッションをしたり、お三味線の構成も、3部とか4部に分かれてコードを弾くとか、メロディライン弾くとか、演奏を付けるとか、いろんなことを1曲ごとにしました。それは、一番のねらいというのは、お三味線を知らない世代にも、こう、すんなり自然に聴こえる、楽しめる、音楽になって欲しいというところが、ねらいでした。
<田中祥子先生のお話➃>
はい、ここの上級認定者さんは、光祥会にとって、長年貢献をしてこられた方、それとご高齢になられても頑張って皆さんの目標となられるような方々です。その方々も勿論、年に1つずつ年を取って、1番の方は97歳でいらっしゃいます。皆さん方が元気でこの1年乗り越えられたこと、それから今まで仲良く稽古を続けて元気で健康でいられたこと、これを何よりも私は感謝しました。その奥に、家族の皆さんが、それぞれついてきてくださったり、サポートしてくださったり、特にこの上級さんはありましたので、私は、その家族の皆さんにも感謝をしたところです。
<田中祥子先生のお話➄>
そうですね、こきりこ節は高校生以上の40代くらいまでの若手の方たちが集うということで、現代的なアレンジを、今の8ビートとか16ビートとか、そういうビートをきかせたもの、本来の2拍子の手拍子をするというものではないものにする、変化をさせようという意図で行いました。これは、以前から元々考えていた構想で、今回実現させましたが、練りに練ったっていう感じですね。
<田中祥子先生のお話➅>
平成20年頃だったと思いますが、人吉の九州大会の合唱の部で、初めて皆で合唱をチャレンジをしたんですね。曲は、「祖谷(いや)の粉挽き唄」だったのですが、初めて皆で頑張って、初めて皆で優勝して、九州で1番になりました。そのときは、全国大会というものはなくて、九州大会まででした。そのときの優勝カップがすごく宝物で、ずっと飾っていたんですが、2016年の熊本地震で壊れてしまいました。それを捨てきれずに取っていて、みんなにどうしようかとある時聞いてみたら、みんながいやもう1回先生取りに行けば それ捨ててもいいたい、 と言ってくれて、 あっ、そんな考えもあるんだなあと思いました。だったら、地震の時にいろんな他県の皆さん、世界の皆さんがいっぱい応援して下さったから、その感謝の気持ちとして、自分のところの歌を歌って、別に賞とか考えずにですよ、本当に賞とか考えずにまず地震の中でもこうやってみんなで民謡を歌ってるっていうアピールだけでもしましょうということで九州大会に行ったんですよね。
そしたらまあなんと優勝させて頂いて、更に、全国大会からもお誘いがきたので、それじゃあみんなで行きましょうということで行ったんです。そして、東京の品川の「きゅりあんホール」というところで全国大会があって、その合唱部の部で5組出られたんですけどその中でおかげさまで優勝させて頂いたという本当に思い出深い唄なんです。
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