こちらは、2022年2月5日(土)〜4月10日(日)までの開催です。
第1章 「私も大きな絵ば描きたかった」-パラダイスへの一歩―
<解説の引用>
・「1966年、画家を目指していた息子の賢一さんが家を出て働き始めると、シスコさんは、賢一さんが家にのこした作品の油絵具を包丁で剃り落とし、その上に自分の作品を描き始めます。」・・(中略)・・『賢一さんに、シスコさんは「私も大きな絵ば描きたかった」と秘めていた思いを伝えました。この言葉と描かれた作品に心を打たれた賢一さんは、その制作の後押しをしようと決意します。こうして、53歳にしてシスコさんの絵を描く生活が始まりました。』
<左の絵が「私が愛する生物たち」>
第2章 「どがんねぇ、よかでしょうが」-熊本から大阪へ―
<解説の引用>
・「1970年の夏、シスコさんは、息子さんと同居するため」・・(中略)・・「大阪府枚方市の一軒家に引っ越します」・・(中略)・・「多彩で奔放な“シスコワールド”へと開花していきます」・・(中略)・・「しかし、順風満帆な日々ばかりではありません。1996年には娘の和子さんが病死します」・・(中略)・・「人生最大の悲しみ」・・(中略)・・『賢一さんは「コスモスを見に行かんね」と連れ出します。それは《枚方総合体育館前のコスモス畑》の制作へと繋がり、描くことによって気力を取り戻していきました。』
<中央の絵が「枚方総合体育館前のコスモス畑」>
第3章 「ムツゴロウが潮に乗って跳んでさるく」ーふるさとの思い出日記ー
<解説の引用>
・「シスコさんは、70歳を過ぎてから、熊本で過ごした子ども時代を振り返って描いた一群の作品を残しています。《五色山の想い出》や《ふるさとの海》などは、自身が見て、感じた大正から昭和初期の故郷の風景を、記憶を丹念にたどりながら描いています。」
<右の絵が「五色山の想い出」>
第4章 「私にはこがん見えるったい」-あふれるシスコ・パラダイス―
<解説の引用>
・「シスコさんは結婚した頃から、暮らしの中で、植物や小さな生き物を育ててきました。水や餌をあたえ、日々、静かに小さな生命と向き合う姿は、まさにシスコさんの人柄をしのばせるものです。多くの作品に共通して言えることですが、とりわけ植物を描いた作品では、明るく鮮明な色彩があふれています。」
<左の絵が「絵を描く私」>
第5章 「また新しかキャンバスを持って来てはいよ」-とまらないシスコ・ワールド―
<解説の引用>
・『シスコさんは、自分の作品を見に来てくれる人たちを喜び、出会いを大切にしました。自身が注目される晴れ舞台でもある展覧会など、楽しいこと、にぎやかなことが大好きでした。近所の人たちに囲まれながらテレビの取材を受ける様子を描いた《NHKがやって来た》には「シスコのおまつり」と裏書きされ、シスコさんの高揚感が伝わって来ます。』
<中央の絵が「NHKがやって来た」>
第6章 「私は死ぬまで絵ば描きましょうたい」-シスコの月―
<解説の引用>
・「《90才のプレゼント》は、孫たちが選んだ大きな花束と花瓶に力づけられ絵筆を握った、最後の大作です。散ったチューリップまでも描いた人生賛歌のような大輪の花束の左右の端には、亡くなった娘の和子さんを現すシスコさん手作りの人形や、愛猫のミーも描きこまれています。」
<中央の絵が「90才のプレゼント」>
第7章 「シスコは絵を描く事シかデキナイのデ困つた物です」-かかずにはいられない!―
<解説の引用>
・「シスコさんの制作は、平面の世界にとどまるものではありませんでした。シスコさんの描きたいという衝動は、どんなところにも広がっていきました。たとえば、素麺が収められていた木箱、竹筒、木製の引き出し、お酒の空き瓶、しゃもじにまで絵を描きました。」

関連イベント
2022年4月9日(土)
【第1部】 オープニング・トーク
【第2部】 シスコdeディスコ
詳細のリンクはこちら!
※ 日程については、この記事を掲載した時点の情報ですので、必ず最新の情報を確認されて、ご対応お願いいたします。
<場所>
会場:熊本市現代美術館
住所:〒860-0845 熊本県熊本市中央区上通町2−3